古典派オーケストラ 百花繚乱

ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ The London Classical Players

 管弦楽曲を当時の楽器で演奏するべくロジャー・ノリントン(Roger Norrington [1934〜])の手で1978年に創設された〈ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ〉。1992年までのコンサート・マスターはジョン・ホロウェイ(John Holloway)。最も早い段階で、ピリオド楽器によるベートーヴェンのシンフォニー全集に取り組み、ベートーヴェンが手稿譜に書き記したメトロノーム指示に従ったその演奏は、それまでのベートーヴェン演奏の常識を覆すものとして賛否両論の論議を巻き起こしました。それらショッキングともいえる録音は19世紀初頭のベルリオーズやメンデルスゾーン、またワーグナーの序曲やスメタナの〈わが祖国〉にまで及び、常に話題、そしてオーケストラ演奏の根本を見直せといわんばかりの問題を我々に提起するものでした。

 しかし〈ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ〉は、1990年代の度重なるノリントンの入院により1997年に解散。エイジ・オブ・インライトゥメント管弦楽団に吸収合併され消滅します。 

 ノリントンは、その翌年の1998年に〈シュトゥットガルト放送交響楽団〉の首席指揮者に招かれ2011年までそのポストに在任。彼の美学をブルックナーや20世紀の音楽にまで適用。耳慣れたロマン派の名曲が、つぎつぎと新しい装いに包まれ、それらのライブ演奏の新譜は出される度に感嘆をもって迎えられました。また、現代オーケストラが白旗を揚げ逃げ腰になっていたハイドンに真正面から取り組み、モダン・オーケストラでも、HIPの精神を注入すれば十分に鑑賞に値する演奏ができることを証明。Historically Informed Performanceと呼ばれる古典派演奏の流儀を全ての演奏家が身につけなければならない、という御誓文を現在に生きる全てのクラシック音楽演奏家に対して突きつけたのです。

 〈ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ〉ではベートーヴェン指定のテンポの再現のみにとどまらず、楽器の配置、編成、当時の楽器の使用と妥協のない試みを実演に移して行ったのですが、中でもノリントンのこだわりは、ヴィブラートに関するものでした。現代のオーケストラの弦楽器や木管楽器に聴かれるような、常に音程を揺らすヴィブラートは1930年代までは一般的ではなく、基本的にピュアな音色で奏でられていたということを論拠にしたノンヴィブラート奏法がそれです。現代のオーケストラが纏うようになった厚化粧を削ぎ落とすことによって、作品の本来の美点が浮かび上がるのだ、という強い信念に基づき、ピリオド楽器オーケストラのみに止まらず、〈シュトゥットガルト放送響〉や〈南西ドイツ放送響〉など伝統をもつドイツの既存のオーケストラにも自身の考えを浸透させてゆきます。

 ブラームスやワーグナーはもちろん、マーラーやシェーンベルクでさえ、私たちが慣れ親しんできたグラマーなヴィブラートは想定していなかったということ。それは確かにノリントンに言われなくてもSPレコードに耳を傾けるだけで実感できることではありますが。

 それでは、弦楽器の左手のヴィブラートを止めることにより生じる効果とはどのようなものだったのでしょうか。

 まず、ハーモニーの性格が際立ちました。音を揺らした状態では確かに厳密にハーモニーをつくることはできません。属和音の緊張感、主和音の解決感といったような和声の彩りが、ヴィブラートを取り除くことによりハーモニーの種類の数だけ眼前に現れたのです。不協和音は一層辛辣になり、また単なる短調、長調だけではない、調性感がオーケストラに宿りました。

 歌うこと=ヴィブラート、に慣れ親しんでいた頃には気がつかなかったことですが、左手の音を揺らす動きを止めることに反比例して右手の弓の動きに多彩さをあたえることにより、フレーズ感が増したことが次なる驚きです。フレーズの山と谷が明らかになり、立体的な音楽が立ち現れました。ヴィブラートは一見音を豊満にしているようですが、常に圧力をかけることにより、実際にはフレーズを潰してしまっていることが多かったということに気がつかされたのです。右手のボウイング(弓使い)を繊細で多彩にすることにより浮かび上がるフレーズ感。この豊かな表現力の現出もノンヴィブラート効果のひとつです。

 ヴィブラート無しで弓を当てるとかなりの衝撃を与えることができます。ヴィブラートをかけると音がグラマラスになり音量が増すのは確かですが、ノンヴィブラートで弓を当てることによりエッジの効いた、衝撃感を伴うメリハリが表現できて、音量だけに頼らないダイナミクスレンジの広さを実感することができます。

 木管楽器からもヴィブラートが取り去られたことにより、見通しが良くなり、折り重なるテクストの中にあっても全ての楽器がバランスよく聴こえるようになりました。全体的な響きの豊満さが取り除かれることにより、音の形(シェイプ)が明晰に立ち上がってきたのです。

 弦楽器に加え管楽器セクションの発音が明快になったことによりリズム感にも変化がもたらされたことを追記しておきましょう。「踊り」の要素がオーケストラに対するイメージを変化させました。

 最後にもうひとつ。例えばヴァイオリンでしたら一番細いE線を鋼鉄弦からガット弦に張り替える必要がありますが、ヴィブラートと圧力を取り除いたピュアートーンはとても美しいものだったのです。圧力から解放すると絶対的音量(デシベル)は減りますが、それに代わって豊かできらびやかな倍音が音の響きに美しさをもたらすのです。まっすぐな音は素朴ではありますが、それゆえにそこに付加できる表現は無限大で、そのような、楽器が本来持つ美しさに気がつかせてくれただけでもノンヴィブラート奏法の効能には絶大なものがあったと言えるでしょう。

 このように、ノリントン&〈ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ〉によって1980年代に発表された、垢の取り除かれた新しいオーケストラの響きは、世界中に物議をもたらしたわけですが、当時、そのあまりの新奇さに、受容拒否を起こした人も少なからずいたのは事実。この動きが世界に広がるのか、総スカンを食って衰退していくのか注目を集めました。

 ところが今やその方向性は明らかになったようです。ノリントンが〈シュトゥットガルト放送響〉のシェフになる頃には、世界的にベートーヴェンのテンポはどんどん競うように速くなり、サウンドについても、漫然と常にヴィブラートをかけて演奏することの方が見識のないものと受け取られるようになるのです。その傾向は強まりこそすれ、過去の時代に逆戻りするような様子は今や全くうかがえなくなりました。

 我が国でも、NHK交響楽団が2014年まで毎年ノリントンを客演指揮者に迎え、ベートーヴェン全曲チクルスを完結させたのは記憶に新しいところ。このノリントンとのチクルスのおかげでNHK交響楽団はノンヴィブラート奏法をものにし、昨年末に迎えたピリオド系の指揮者、F.-X.ロトとのベートーヴェン第9番の演奏でも完全なノンヴィブラート奏法をもって驚きの新しいベートーヴェン・サウンドを我々に披露してくれました。

【ロンドン・クラシカル・プレイヤーズのCD、L.v.ベートーヴェン:第7シンフォニー他】

【ロジャー・ノリントン氏の写真】

(2015.5.6)

 

 

【関連動画】

C.M.v.ヴェーバー:シンフォニー第1番 ハ長調

ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ、ロジャー・ノリントン(指揮)☆