古典派キーワード

 作曲家・作品紹介のページでは、極力専門用語を避けて説明することを心がけていますが、古典派に親しむためには避けて通れない専門用語があります。本来数行で説明するには無理のある用語たちですが、ここでは著者の偏った浅はかな経験に基づき独自の視点から解説を試みています。いずれにせよここでの解説はごく簡単なものですので、詳しくは専門書等を参考にしてください。

 

★シンフォニー/交響曲

 シンフォニーあるいは交響曲を一義的に説明することはできません。イタリア語でシンフォニア、フランス語でサンフォニー、ドイツ語と英語でシンフォニーではありますが、シンフォニアと名付けられた鍵盤作品もありますし、20世紀に書かれた大編成のマーラーの作品もシンフォニーです。シンフォニーの和訳は「交響曲」となりますが、「交響曲」というと、50人以上の大オーケストラで奏でられる、ベートーヴェン以降のものを想像するのが一般的だと思います。シンフォニーとすればそのイメージが払拭できるのか疑わしくもありますが、このサイトでは「シンフォニー」と表記を統一しています。また、〈古典派シンフォニー〉の雛形のようなものも存在しません。実質序曲であったり、セレナーデが編成され直したものだったり、古典派の時代には、色々なタイプのシンフォニーが目的も様々に書かれていました。

 

★ピリオド楽器、時代楽器、オリジナル楽器、古楽器

 作曲された当時の楽器、またそれらを用いて演奏すること。例えば古典派時代のフルートは木製で、キーの数も時代により異なりますが1つから多くて9つ。ホルンはただ管を巻いただけのナチュラルホルン。弦楽器もガット弦という羊の腸を縒ったものを裸で使用していました。響きは現代の楽器と量も質も異なります。ピリオド楽器、オリジナル楽器など言い方は様々ありますが、いずれも今の楽器ではない当時の楽器、そしてそれらを使っての演奏を指し示しています。

✤古典派時代ピリオド楽器の解説(楽器名をクリック!)

 フルート

 ホルン

 ヴァイオリン

 フォルテピアノ

 

★ピリオド奏法、古楽奏法

 ただ楽器が違うだけではなく、現代の楽器よりも軽い楽器から繰り出されるはっきりした発音、細めの音質から、肉厚のヴィブラートは避けられ、おしゃべりをするように子音を立てたり、重みをかけるよりもシェイプをかけながらフレーズを細かくつくってゆくなど、現代の奏法とは異なる古典派音楽の語法に沿った奏法による演奏をいいます。

 

★HIP(historically Informed Performance)

 現代の楽器を用いての演奏でも、ピリオド奏法を取り入れて古典派の作品を演奏しようというスタイル。世界中の現代楽器を用いている既存のオーケストラも、好むと好まざるとに関わらず、HIPの精神をもって古典派の作品を演奏することが求められるようになっています。

 

〈形式〉

 

★二部形式(歌謡形式)

 AB | A’B’ といったような二つの主題を交互に提示(展開)させてゆく形式。歌謡にも見られる単純な形式で、古典派時代の第2楽章にしばしば見られます。

 

★ソナタ形式

 ソナタ形式は、シンフォニーやソナタの第1楽章や終楽章で大いに発展を遂げハイドンとベートーヴェンによって完成をみた形式です。男性的な第1主題と女性的な第2主題が対照されながら提示され、展開部で発展、再現部で調和し終結するという、音楽におけるドラマ、起承転結が形式化されたものです。古典派シンフォニーを鑑賞する上では、主題の対比、動機の折重なり、調性の展開などがどのように工夫されているのか、ソナタ形式のドラマがどのように展開されるかということを分析しながら聴くことがひとつのポイントになります。

 

★ロンド(・ソナタ)形式

 ABACAのように主要主題Aが循環し、その合間に副主題が挟まれてゆく形式で、様々なヴァリエーションがあります。古典派後期になると、ABACABAのように拡張され、Cの部分がさながら展開部のようになり、さらに最後にコーダ(終結部)がつけられ大規模になってゆきます。この拡張されたロンド形式は「ロンド・ソナタ形式」と呼ばれ、フィナーレ楽章の充実が増すことになりました。コンチェルトの最終楽章にも好んで用いられた形式です。

 

★複合三部形式

 「メヌエット」や「スケルツォ」と呼ばれる、3拍子の舞踏の音楽。稀に2拍子系のこともありますが、例外なく舞曲から取材された音楽によります。4楽章形式が定着する前、「メヌエット」などの複合三部形式は最終楽章(第3楽章)に配されることがよくありました。その後、4楽章形式がシンフォニーの定型になると、ごく一部の例外を除き、第3楽章が定位置となります。

 ABA,CDC,ABAと、三部形式が複合配置されているので「複合三部形式」と呼ばれます。CDCの中間部はしばしばトリオと呼ばれ、編成が小さくなったり関係調に転調したりと主部に対比されます。

✤モーツァルトはメヌエットを踊るのが得意で、カーニバルのシーズンになるとそこかしこの仮面舞踏会に出席し踊っていたとのこと。後年、ウィーンで宮廷作曲家に任命され、実用に供する、つまり実際に踊るためのメヌエットやコントルダンス、ドイツ舞曲(レントラー)などを量産しました。シンフォニーやディヴェルティメントに配されたメヌエットも、モーツァルトの場合は実際に踊ることのできる実用的な音楽となんら変わりません。

 

★変奏曲(ヴァリエーション)

 古典派の重要な形式である変奏曲はシンフォニーでもしばしば用いられます。メロディーに装飾を加えたり、リズムを変えたり、調性を変えたり。ひとつのテーマを装いを替えるように連ならせてゆく形式です。第2楽章の緩徐楽章が変奏曲のことはよくありますし、終楽章が変奏曲の例も少なくありません。そもそも古典派の音楽は基本的にテーマを変奏することで音楽が紡がれてゆくので、あらゆる形式のベースとなる形式でもあります。

 

〈スタイル・主義〉

 

★ギャラント様式

 18世紀中に当世風として流行したスタイルで、優雅な上品さを示すため、複雑さの避けられた単純な和声と音形をもつ伴奏の元、軽快で分かりやすい旋律が歌われるもの。華美な装飾に彩られ、耳に快く響くのですがが、時に上辺のみの表現ばかりが目立ってしまうこともしばしば。

バロック時代の教会での厳粛な対位法による音楽から解放され、啓蒙の世紀にふさわしい明晰さのある様式が、演奏を楽しむ余裕をもつようになった市民たちに歓迎されました。ギャラント・スタイルの流行と古典派音楽の誕生とは密接な関わりがあります。

 

★対位法(フーガ)

 旋律が追いかけっこをするカノンがフーガの最も単純なもの。ふたつの旋律が絡み合う二重フーガ、音価が倍になったものが対置されたり、J.S.バッハを頂点とするバロック時代に、様々に展開・発展をみた形式。古典派の時代にも宗教作品では比較的厳格な対位法が用いられ続け、音楽に規律と荘厳さ、また永遠性を与えるためにシンフォニーにおいてもしばしば用いられました。

 

★シュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)

 シラーやゲーテの一部作品に代表される文学上の革新的芸術運動に対し後世が与えた名称。一言で言えば、感情によって震撼させ、圧倒し、征服すること。音楽でも文学と同じような時期に激しい感情表出を伴う作品が書かれ、1770年前後にハイドンが書いた短調のシンフォニーやソナタにその典型例をみることができます。モーツァルトやヴァンハル、C.Ph.E.バッハにもシュトゥルム・ウント・ドランクの様式と名付けてもよい作品が1770年代を中心に書かれています。

 

★多感様式

 18世紀半ばに北ドイツで極められたスタイルで、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハの音楽にその典型を見ることができます。内的で繊細。ごく私的な主観的な感情の移り変わりを音にしようという様式であり考え方を指します(やはり文学上の運動と連動しています)。感情を表現するといっても、舞台上で演じられる大げさな激しい身振りではなく、ため息、愁い、おののきなど、心の内面の移ろいやすい静かな感情の動きを表現しようというもの。愁いを帯びた調性、語るような音形、突然の休止後の気分の変化等、音符上のめまぐるしさは心の動き以上に夥しく変化し移ろいます。C.Ph.E.バッハはクラヴィコード(Clavichord)という極めて繊細な楽器を、多感様式を実現する伴侶として愛奏していました。

 

★啓蒙主義

 18世紀中葉に絶頂期を迎えた、キリスト教信仰とそれに伴う王権神授説の絶対主義を批判した思想運動。理性を武器に、無批判な伝統墨守や権威への盲従、迷信、無知に対して戦いを挑みました。

 啓蒙君主の一人、ハプスブルク(ウィーン)のヨーゼフⅡ世は、宮殿内で音楽を響かせるだけではなく、音楽文化を広く大衆化させることにも熱心でした。バロック音楽に比べて古典派の音楽が一見平易で分かりやすくなったのには、こういった社会の状況により聴衆層が広がったことにも要因を求めることができるでしょう。

〈ギャラント様式〉の器楽曲は、中産階級のアマチュアが演奏できるものとしてもてはやされます。人間の個人的な感性を露わにすることに躊躇が無くなったことにより〈多感主義〉とよばれる主観的表現が聴かれるようにもなりました。〈シュトゥルム・ウント・ドランク〉についても啓蒙主義と呼応しての産物ということができるでしょう。18世紀に生を受けた古典派の作曲家たちは〈啓蒙思想〉の波を多かれ少なかれ受けています。〈啓蒙思想〉は古典派音楽の精神と深い関わりをもつ重要なキーワードとなります。

 

〈編成〉

 

★ソナタ

 古典派の時代に単にソナタといった場合、複数楽章からなる器楽作品を指すことが一般的です。ピアノの独奏であったり、ヴァイオリンとピアノのデュオ作品であったり。作品の質、重要度においてシンフォニーと肩を並べる作品も数多く存在します。

 

★コンチェルト(協奏曲)

 オーケストラと独奏者の競演。バロック時代には、ソロ群とトゥッティの対比で紡がれるコンチェルト・グロッソ(合奏協奏曲)が、ソロ・コンチェルト共に一大ジャンルを形成していました。バロック時代においてはシンフォニーよりも重要なジャンルでしたが、古典派の時代になると、ソリストの腕前(ヴィルトゥオーゾ性)を示すためのものとして、新たな活路を見出すようになります。

 

★サンフォニー・コンセルタント/シンフォニア・コンチェルタンテ/協奏交響曲

 古典派の時代に、上述のコンチェルトと同じように親しまれた編成で、複数のソリストの競演をオーケストラが囲むような編成になっています。コンチェルト・グロッソの精神を受け継いだのは、こちらサンフォニー・コンセルタントの方だと言うことができます。ソリストの組み合わせは様々で、ヴァイオリン2本や、フルート、オーボエ、チェロなどをカラフルに組み合わされたものまで、耳目を楽しませるために工夫された曲が量産されました。パリやロンドンで流行した編成です。

 

★セレナード(デ)

 伝統的には夕暮れ時に女性の家の窓の下で、楽器伴奏付きで恋する男性によって歌われる曲をセレナード(タ)と言いました。古典期に入っても、モーツァルトのオペラ〈ドン・ジョヴァンニ〉でマンドリンを伴って歌われるアリア、またシューベルトの歌曲にも原義通りのセレナードを聴くことができます。ですが古典期に入ると、歌を伴わない器楽合奏のみのセレナードというジャンルが見られるようになります。特定の行事のために作曲される多楽章からなる、深刻さを排した気楽な作品が主ですが、モーツァルトに至って、シンフォニーとの線引きをすることが難しいような、〈アイネ・クライネ・ナハトムジーク〉や〈ポストホルン・セレナード〉といった傑作が誕生しました。日本語では〈小夜曲〉と訳されます。

 

★ディヴェルティメント

 〈嬉遊曲〉と訳される、こちらもシンフォニーの近接ジャンルになります。セレナードにも当てはまりますが、機会音楽、立奏、BGMの要素、多楽章、メヌエット等の踊りの楽章があることが必須条件、そして各声部が1人の奏者によって奏でられる、といったような大まかな特徴があります。ディヴェルティメントという呼称を、鍵盤楽器のソロ作品に対して使ったハイドン、ディッタースドルフの例もあります。オーストリア、南ドイツで主に使われた呼称ですが、ディヴェルティスマンという小品がフランス古典派において多く見られます(こちらは少し意味合いが異なります)。やはりモーツァルトが、様々な編成でディヴェルティメントを作曲しています。セレナードと合わせ基本的に古典派時代特有のジャンルということができます。

 

★コンツェルト・マイスター/コンサート・マスター

 オーケストラのリーダーでヴァイオリン奏者がその任にあたることが大半。古典派、特に18世紀中は、指揮者という棒だけを振る役回りは稀でしたので、コンツェルト・マイスターがヴァイオリンを弾きながら指揮をしていました。作曲家がクラヴィーア(チェンバロやフォルテピアノ)越しに指揮をしていたケースも楽団によってはありました。

 

〈音楽用語〉

 

★調、転調

 ドから始まる長音階をハ長調、ソから始まる♯1つの長音階をト長調、レから始まる♭1つの短音階をニ短調、というように、西洋音楽には12の長音階と12の短音階が存在します。また、ひとつの楽曲の中で他の調に転じていくことを転調といいます。古典派の時代は冒頭にその調の主和音が鳴らされて始まる場合が大半なので、冒頭から何調の曲か判別がつきます。その後、関係する調伝いに転調してドラマが紡がれていきます。どの調に転じてゆくのか、これは冒険にも似た未だ見たことのない世界に導かれていくような楽しいことで、古典派作品の鑑賞の楽しみのひとつとなります。なお、古典派後期になると、ベートーヴェンの1番のシンフォニーに代表されるように、意表をつくように主和音から始まらなかったり、なかなかその曲の調性が明らかにならなかったり工夫が凝らされるようになります。

 

★カデンツァ

 古典派のコンチェルトやアリアの終わり近く(再現部とコーダの間)に挿入される、ソロ楽器もしくは歌手によって歌われる技巧的なパッセージ。非終止和音にフェルマータがつけられ、その音から派生するように始まり、技巧をひけらかすために最高音を誇示したり、長いトリルが奏でられたりして作品に花を添えます。古典派の時代には、しばしば大仰なカデンツァが横行して問題が生じることもありました。モーツァルトの後期やベートーヴェンの時代になると作曲家がカデンツァを書き込む事例も出てくるようになります。

 

★トゥッティ/ソロ

 全奏/独奏と訳されます。複数人いるヴァイオリンから一部分がリーダーの独奏になったりコントラストがつけられることが往々にしてあるのが古典派の音楽です。

 

★舞曲

 バロック時代には舞曲が組み合わされた「組曲」という管弦楽作品や鍵盤作品がありました。それらがシンフォニーの源流のひとつとなりました。古典派の時代にも「メヌエット」や「コントルダンス」、「ポロネーズ」などの舞曲の名がつけられた作品や楽章があります。また、舞曲名が明記されていない作品であっても、一見して「ガヴォット(風)」だったり、「ジグ(風)」であったり、18世紀の音楽家は楽譜からメッセージを読み取り、舞曲風にリズムを特徴づけて演奏していたのです。

 

★ユニゾン

 オクターブが違っても同じ音のことをユニゾンといいます。メロディーには常にハーモニーが従い、そのハーモニーの移ろいを味わいつつ音楽を鑑賞するのは、聖歌など例外はありますが、どの音楽ジャンルにおいても普遍的なことです。古典派音楽では時に全ての楽器がユニゾンとなり説得力を増すシーンによく出会います。そんな効果的な突然のユニゾン書法に驚くのも古典派鑑賞の楽しみのひとつでしょう。

 

★ca

 ラテン語、circaの略で、年代や日付の前に用いて「およそ」の意味。生没年が必ずしもはっきりしない作曲家が多い古典派以前の生没年表には必須の略語です。

 

〈人物/団体名等〉

 

★J.ハイドン [1732-1809]、W.A.モーツァルト [1756-1791]、L.v.ベートーヴェン [1770-1827]

 シンフォニーの分野でも偉大な功績を残した古典派を代表する三巨匠。当然知られていることを前提に各所に引用しています。ハイドンは、弟ミヒャエルもザルツブルクで作曲家として大成していますが、文中で断りない限りは、兄ヨーゼフ・ハイドンのことを示すこととします。

 

★Hob. KV. Op.

 ハイドンの場合、ホーボーケン氏がジャンルごとにまとめて番号を振って目録をつくっています。‘Hob’の後のギリシャ数字がジャンルを表し(シンフォニーは I)、: の後に各々の作品に対する番号が付されています。シンフォニー第95番は、Hob. I : 95 となります。

モーツァルトの全作品を時代順に並べまとめたのはケッヘル氏。’KV’や’K’の後に番号が付されます。1862年にケッヘル氏が目録を制作してから、研究によって時代が入れ替わったり、新たな作品が見つかるなどしていますが、それらは適宜版が重ねられることにより反映されるようになっています。現在の最新版は第8版です。例えば、KV99とケッヘル氏により番号付けられたカッサシオンがその後の研究により、より早い時期に作曲されたことが判明し、KV63とKV64の間に位置することになると、KV63aという最新版のケッヘル番号が与えられます。しかしケッヘルの付けた原番がすでに通用しているため、一般に KV99 (63a)というように、最新版を括弧の中に入れて記すのが慣例となっています。’KV’とは、Köchelverzeichnis(ケッヘル番号)の略で、ドイツ語圏では’KV’と、その他の国では’K.’と一般的に綴られます。

ベートーヴェンは、自分で作品番号を付けました。自身で発表(出版)に値すると認めたもののみに作品番号を付けたので、作品番号が付けられないまま放置された作品も相当数残されることになりました。それらはキンスキー氏とハルム氏によって編集された目録にWoO(作品番号なし)としてまとめられました。例えば「エリーゼのために」はWoO.59です。

 

★コンセール・スピリテュエル

 パリコミューンの際に焼け落ちてしまい、今は公園となっていますが、かつてのチュイルリー宮殿内に〈コンセール・スピリテュエル〉と呼ばれる演奏会場がありました。1725年にこの会場でのコンサートが創設された当時は、宗教曲が主に演奏されていましたが、1773年以降〈コンセール・スピリテュエル〉は輝かしい時代を迎えることになります。オーケストラの人数が増え、シンフォニーやサンフォニー・コンセルタント、コンチェルトが積極的に演目に登るようになります。マンハイムから作曲家や演奏家が招かれ、ここで行われる公開コンサートはヨーロッパ随一のものになっていきました。モーツァルトのシンフォニー第31番「パリ」が演奏されたのは、こんな隆盛を極めていたここ〈コンセール・スピリテュエル〉ででした。古典期のパリには他にも〈コンセール・デザマテール〉と〈コンセール・ド・ラ・ロージュ・オランピック〉という優秀なオーケストラがありました。*J.B.de サン=ジョルジュの項目参照。

 

★チャールズ・バーニー

 作曲もして、オルガン奏者として活躍するほどの音楽的腕前をもつイギリス人、バーニーですが、彼の一番の才能は文章に対するものでした。音楽通史を執筆したいという野望をもって1770年にフランスからイタリアへ、1772年にはオランダからドイツ、ウィーン、そしてポツダム、ハンブルクと周る旅をして、当時の重要な人物と面会をして実際に音を聴きました。その後も積極的に大陸の重要人物と文通を重ねるなど常に最新の音楽シーンについて関心を払い続け、その鋭い観察者の眼を通してヨーロッパの音楽について文章に著しました。それらは現代の私たちにも貴重な情報を与えてくれるもので、古典派の文献を読んでいると、必ず「チャールズ・バーニーによると...」という引用に出会います。