ジョアン・ドミンゴス・ボンテンポ

João Domingos Bomtempo 1775-1842

 イタリア人のオーボエ奏者を父に持ちリスボンに生まれたボンテンポは、王室礼拝堂オーケストラに勤めていた父が亡くなると、その地位を継いで自身もオーボエ奏者として音楽家としてのキャリアを始めます。ピアノをよく弾き音楽の才能にあふれていた彼は、1801年に故国を後にします。パリでさっそくピアニストとして名声を得て、ピアノ協奏曲やシンフォニーを発表。作曲家として本格的な活躍を始めます。

 ボンテンポの作品を多く出版したクレメンティとは、個人的な交流もあり、彼の元、ポルトガルでは知り得なかったピアニスティックなスタイルなど多くを学びました。しかし、2010年にナポレオン軍の侵入を免れるようにロンドンへ移住します。

 このパリとロンドン時代にボンテンポは、ピアノ曲、5つのピアノコンチェルト、レクイエムと6曲のシンフォニーを作曲。目覚ましいキャリアを築き上げました。

 その後1820年にはリスボンに戻り、フィルハーモニー協会を設立し連続定期公演を始め、ポルトガルにハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンを積極的に紹介してゆきます。途中政治的な理由で、フィルハーモニー協会は中断、解散させられますが、33年には新しく設立された音楽院の院長に就任。数々の教育用の作品、ピアノのためのメソードなどを作曲し、亡くなるまでポルトガルの音楽界の発展に貢献しました。

【J.D.ボンテンポの肖像画】

 

[ジョアン・ドミンゴス・ボンテンポのシンフォニーを聴く]

シンフォニー 第1番 変ホ長調 作品11

 

 このシンフォニーはパリで1809年に初演されたものです。その際に絶賛された新聞記事が残されています。四手のピアノ用への編曲版もクレメンティ社から出版されていて、パリで高く評価されたことを物語っています。

 ボンテンポは苦もなく流麗で豊かなメロディーを生み出す作曲家で、このシンフォニーにも愛嬌と愉悦感をもつメロディーが溢れています。

 第1楽章は主和音から序奏が始まり、ソナタ形式の主部では弦楽器が第1主題を提示、その後トゥッティで確保という、ハイドンのロンドンで書かれた諸作品をなぞるような形式でつくられています。第2楽章にはメヌエットが置かれます。管楽器群による呼び交しの美しいトリオ。管楽器は各々2本ずつのフルート、オーボエ、クラリネット、バスーンにホルン。そしてティンパニが加わります。第3楽章は自由な変奏曲で、テーマの間に派生的な旋律が織り込まれていきます。終楽章はこれもハイドンに範を見ることが出来るロンド・ソナタ形式。中間部では管楽器を生かしたフーガ的な展開が楽しく、後味の爽やかな気持ちのいいシンフォニーです。

(2015.2.8)

 

【関連動画】

ジョアン・ドミンゴス・ボンテンポ:シンフォニー 第1番 変ホ長調 作品11

アルガルヴェ・オーケストラ、アルヴァロ・カスート(指揮)