ヨーゼフ・ヴェルフル

Joseph Wölfl 1773-1812

 ザルツブルクに生まれ育ち、レオポルト・モーツァルトとミヒャエル・ハイドンの元で学び、7歳の時にはヴァイオリニストとして公の場で演奏したというヴェルフル。

 1790年にはザルツブルクを巣立ち、ワルシャワのオギンスキ伯の元に身を寄せた後、ウィーンに居を定めた95年から、当時ヴィルトゥオーゾ・ピアニストとして華麗な活躍を始めていたベートーヴェンと並び称されるピアニストとして活躍を始めます。1799年にはベートーヴェンとピアノで二重奏を演奏して相見えたという記録も残されています。気取らず控えめで親しみやすい人柄から、ヴェルフルの方を好む人も多かったのだということ。

 180cmを超える長身で、手も大変大きかったヴェルフルのピアノ演奏は、確かな技術で音楽の様々なニュアンスを表現、かつ即興演奏にも秀でていたといいます。

 ヨーロッパ各地に大々的な演奏旅行を行い、ピアニストとしての名声も高まった頃、1801年にはパリに移り、1805年にロンドンに移住。この地でもさっそくピアニストとしての地位を確立し、ピアノ協奏曲やシンフォニーがしばしば演奏会の演目に登り人気を博しました。亡くなる1812年までロンドンで暮らしました。

【J.ヴェルフルの肖像画】

 

[ヨーゼフ・ヴェルフルのシンフォニーを聴く]

シンフォニー ハ長調 作品41(J.P.ザロモンに献呈)[1808年以前]

 ヴァイオリニスト兼指揮者、そしてなによりも音楽興行師としてロンドンで名を馳せていたザロモン。彼はハイドンに2回にわたるロンドン訪問と、それに伴う12曲のシンフォニーの作曲を依頼し成功に導いた立役者ですが、1795年にハイドンがロンドンを去った後も、積極的にイギリスの音楽界を盛り立てていました。ヴェルフルのこのシンフォニーは、そんなイギリス音楽界の重鎮、ザロモンに捧げられたものです。ハイドンの系譜を受け継ぐこのシンフォニーを、ザロモンは大変喜んだのではないでしょうか。

 第1楽章はテーマの対比の穏やかな3拍子のアレグロ。歩きながら口ずさむような晴れやかな歌謡に満ちた第2楽章。力強く祝祭感に溢れた第3楽章。ハイドンの打ち立てたシンフォニーにおけるロンド・ソナタ形式(第4楽章)は、ここで大輪の花を咲かせています。

 1803年に書かれたト短調シンフォニーは、ドラマティックな作品ですが、こちらのハ長調シンフォニーは人懐っこい表情に溢れ、ロンドン市民の好みに合致、大歓迎を受けたに違いありません。

 ヴェルフルの楽譜の出版、録音は、今世紀に入ってから目立つようになって、弦楽四重奏曲、ピアノ協奏曲、ピアノソナタなどの演奏がCDで聴けるようになっています。

【ザロモンの肖像画】

(2015.1.28)

 

【関連動画】

J.ヴェルフル:シンフォニー ハ長調 Op.41

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