フランツ・イグナーツ・ベック

Franz Ignaz Beck 1734-1809

 ベックの父はマンハイム楽派が体裁を整える前の、つまりカール・テオドール候就任前のマンハイムで、オーボエ奏者兼聖歌隊学校長をしていました。父からヴァイオリンやコントラバスの奏法を学びつつ、カール・テオドール候の治世になると、ヨハン・シュターミッツを師と仰ぐようになり、その才能を現してゆきます。それに伴いマンハイムの宮廷も、彼の教育に責任を負うようになります。ところがまさにマンハイムの寵児として活躍が期待されていた最中のこと、ベックは嫉妬の的となり決闘に巻き込まれ、相手の偽りの血を撒き散らすという演技にはまり、マンハイムを追われるようにイタリアに逃げ去ります。

 この逸話はしかし、ベックの死後36年が経った1845年に彼の弟子であったブランシャール(Henri Blanchard)によって書かれたもので、信憑性には問題があるようです。

 しかし、この決闘の話が確かにあったとしても、その相手が死なずに生きていたということはベックの耳に早々に届いていたようです。というのも例えば1762年にはパリで自身の名を隠すことなく、〈室内楽のヴィルトゥオーゾ、ベック〉の名で作品が出版・公表されているからです。

 さて、イタリアではヴェネツィアのガルッピ(Baldassare Galuppi)の元で修行を続けます。ガルッピはマンハイムでも大いに知られていたオペラ作曲家で、実際にこの師の元で勉強する目的でヴァネツィアを目指したのは間違いのないところです。しかしここヴェネツィアも、総督の秘書の娘、アンナ・オニガと駆け落ちをするように立ち去ります。

 ナポリを経由して船でマルセイユに向かったベック。マルセイユでは劇場オーケストラの首席奏者に就任。フランスでベックはたちまち知られるようになり、この時期、パリのコンセール・スピリテュエルでシンフォニーが取り上げられています。

 その後1761年にはボルドーに移り、劇場のコンサート・マスターに就任します。ベックが活躍していた1780年には格式高いグラン・テアトルが完成(写真)。作曲家としても指揮者としても充実の時を迎えます。また、教師やオルガニストとしても活躍、多忙な日々を送ったことでしょう。1783年には〈スタバート・マーテル〉を演奏するためにヴェルサイユを訪れています。

 革命中には新政府側立場から愛国的な作品を作曲。1806年にはアレンジし直した〈スタバート・マーテル〉をナポレオンに献呈しています。この頃にはフランス学士院の会員にもなり地位も確立されました。

 ボルドーの劇場のためにオペラ、教会音楽など大規模な作品を作曲したことが明らかにされていますが、譜面は消失してしまっています。

 シンフォニーは24曲が知られていて、いずれも生前パリで出版されています。初期の作品はイタリア・スタイルの3楽章形式。後にはメヌエットが配された4楽章形式のシンフォニーをつくりました。

 ベックの生没年がハイドンとほとんど同じことに気がつきました。シンフォニーをたくさん書いたこと、共に辺境の地で活躍をしていたことなど外面的にも共通点が多く、音楽においても、楽章構成、楽器使い、また同じ時期にシュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)様式を指向するなど、興味深い共通点を見出すことができます。

【F.I.ベックの肖像画】

【現在のグラン・テアトル(ボルドー)】

 

[フランツ・イグナーツ・ベックのシンフォニーを聴く]

シンフォニー 変ホ長調 Op.3-4

 

 パリで出版されたベックのシンフォニーのタイトルページに「ヨハン・シュターミッツの弟子」と記されたのは、決して儀礼的な意味合いのためだけではありません。特に1762年にパリで出版されたこの作品には師匠ゆずりの特徴を各所に見ることができます。繰り返し記号がなく緊迫感を途切れさせない工夫、急激なクレッシェンド、数小節単位で場面を転換してゆく様、生き生きした動機展開など、この曲にはマンハイム楽派の特色が明らかで、十代の若いうちにマンハイムを後にしたベックですが、彼をマンハイム楽派の第二世代の一人に加えることに躊躇を感じさせません。

 6曲からなる作品3には短調作品が2曲あり、かなり大胆な不協和音の使用など、シュトゥルム・ウント・ドランク(疾風怒濤)の特徴が著しい作品群になっています。

 この第4曲は作品3の中では比較的平安な作品ですが、それでも第2楽章 ハ短調 ウン・ポコ・アダージョのねじれゆく表情など、かなり多感的な書法が取られています。

 この作品は弦5部にホルンが2本加えられた編成ですが、そのホルンの扱いが特徴的で、両端楽章の終結部、またメヌエット楽章の中間部(トリオ)に、長く大胆なホルン二重奏を聴くことができます。

 ベックからのメッセージはマルセイユやボルドーからでしたが、パリは彼の作品を待ち望んでいました。コンセール・スピリテュエルを通じて放たれたベックの作品の先進性は、多くの音楽家に受け入れられていったに違いありません。

 ミヒャエル・シュナイダーの指揮するスタジオーネ・フランクフルトが作品3と作品4のシンフォニー、序曲〈オルフェオの死〉、〈無人島〉、そして〈スタバート・マーテル〉の録音を優れた演奏で残しています。

(2015.6.25)

【関連動画】

F.I.ベック: シンフォニー 変ホ長調 Op.3-4より第1楽章

スタジオーネ・フランクフルト、ミヒャエル・シュナイダー(指揮)☆