ルカ・ソルコチェヴィチ

Luka Sorkočević 1734 -1789

 現在はクロアチアに属するアドリア海の真珠と謳われるドゥブロヴニクは、中世の時代からラグーサ共和国の一都市として繁栄を謳歌しました。1667年に発生した大地震により壊滅的な被害を受けながらも、ルカ・ソルコチェヴィチが生まれる18世紀には再建も進み、第二の発展期にありました。

 ソルコチェヴィチは、13世紀にまで遡ることのできる貴族の家系で、自身も18歳から留学時期を除き亡くなるまで上院議員の地位にあり、行政上の様々なポスト、裁判官から外交官までを務めます。1781年にはウィーン王宮への大使として4ヶ月にわたりヨーゼフ2世との交渉にあたり、そこで宮廷人と人脈をつくり、同時にグルック、ハイドンやメタスタジオと面識を得て、様々な音楽の催しに参加したと彼の詳細にわたる日記に書かれています。ウィーンで膨大な楽譜も仕入れてドゥブロヴニクに持ち帰りました。

 ソルコチェヴィチの家系は、有力な貴族でしたが、音楽をたしなむ人が多く、彼の子供たちも音楽家として活躍しました。

【L.ソルコチェヴィチの胸像】

 

[ルカ・ソルコチェヴチのシンフォニーを聴く]

シンフォニー 第1番 ニ長調

 ソルコチェヴィチは、生地でイタリア人のG.ヴァレンティに音楽の手ほどきを受け、1757年から5年間にわたりローマに留学、カプアに師事しています。作曲家としての活動は、1754年から70年の間に限られているので、このシンフォニーもイタリア留学での成果をさっそく披露したものなのでしょう。同じ時期にイタリアで旺盛に音楽を自分のものとしていたモーツァルトの作風と通づるところがあるのもうなずけるところです。

 ソルコチェヴィチは自らの出費でオーケストラを維持していたとのこと。その上、作品まで提供していたとは、才能の多彩さに驚くばかりです。

 曲は急-緩-急のイタリアのシンフォニア型でいずれも短く簡潔な楽章からなっています。バロックのコンチェルトの形式をとりながらも、はつらつとした躍動感溢れる新しい時代を予期させる音楽です。オーボエとホルンは、旋律をなぞり和声の補強に終始しているばかりで重要な役は与えられていませんが、管楽器が入ることにより、古典派シンフォニーらしさが醸し出されています。

 今では世界遺産にもなっている、美しいドゥブロヴニクですが、古典派時代にも音楽生活を導くソルコチェヴィチを中心に、シンフォニーなどが様々に演奏されて街を彩っていたのでしょう。

*関連動画はこの曲とは異なるシンフォニーです。

【現在のドゥブロヴニクの写真】

(2015.2.6)

 

【関連動画】

ルカ・ソルコチェヴィチ:シンフォニー 第3番 ニ長調

ザルツブルガー・ホフムジーク、ヴォルフガング・ブルンナー(指揮)☆